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004 — 思想 / 2026.10.24

所有は自由の条件か、暴力の起源か――900万戸の空き家と、20万円で国に返す土地

Vol.04 / 2026年10月号(主文)

グロス『所有の暴力』は「絶対的所有」を批判する。だが2026年の日本では、所有は自由である以上に負担になり、20万円を払って国に返されている。思想史と日仏の登記・税・判例を往復し、所有権を「説明責任の所在」として読み直す。

登記簿と鍵を握る手の奥に空き家の窓、手前に「20万円」の札が置かれたイメージ図。

所有は自由の条件か、暴力の起源か――900万戸の空き家と、20万円で国に返す土地

登記簿と鍵を握る手の奥に空き家の窓、手前に「20万円」の札が置かれたイメージ図。左側に見出し用の余白がある。
アイキャッチ=イメージ図(筆者作成)

1. 事件:20万円で、土地を国に返す

2026年9月30日、法務省は相続土地国庫帰属制度の運用状況を公表した。申請6,125件、帰属3,231件。制度が始まった2023年4月27日から3年半で、6千件を超える申請が「土地を手放す」手続きに辿り着いた。負担金は原則20万円で、これは10年分の管理費に相当する額とされる。20万円を払って、所有権を国に移す。

なぜ、進んで20万円を払うのか。相続した土地に建物があり、駅に近ければ、まだ使い道を考えられる。だが、山奥の田畑、使う当てのない宅地、境界の分からない山林は、持っているだけで草刈りと点検と税の請求が来る。売ろうにも買い手がつかない。放置すれば、隣地や自治体に迷惑がかかる。所有は、ここでは「自由の条件」ではなく「降りられない負担」になっている。

この光景は、所有権についての長い常識と噛み合わない。近代の政治哲学は、所有を自由の基礎に置いてきた。自分の身体と労働の成果が自分のものであるからこそ、人は他人に従属せずに済む。私有財産は、国家や共同体の前で個人を守る壁だった。その壁を、いま人は「20万円で引き取ってください」と差し出している。

本稿の問いは、ここから始まる。所有は自由の条件なのか、それとも他者を排除する暴力の起源なのか。 そして、そのどちらでもあるとすれば、2026年の所有は何に変わりつつあるのか。

2. グロスの問い:所有そのものではなく「絶対的所有」を疑う

2026年9月2日、フレデリック・グロス『所有の暴力(Violence de la propriété、仮訳)』がアルバン・ミシェルから刊行された。198頁、19ユーロ(約3,340円)。グロスはパリ政治学院(Sciences Po)の政治思想教授で、フーコーのコレージュ・ド・フランス講義の編者でもある。

出版社の紹介文は、私有財産には「呪われた部分」がある、と切り出す。私が持つものは私だけのものだという主張。誰かが所有者になることは、他者から何かを奪うことだという主張。そして、所有権の根拠は「使用し濫用する(user et abuser)」ことを許される点にあるという主張。この三つが、気候・保健・社会・関係・地政学の危機にまで連なるとグロスは見る。

ただし、彼が攻撃するのは所有一般ではない。本人がラジオで明言している。

「Je ne suis pas contre la propriété privée, je suis contre une certaine manière de vivre la propriété […] je suis contre la propriété absolue.」(私は私有財産に反対ではない。ある特定の所有の生き方に反対なのであり、絶対的所有に反対なのだ)

「絶対的所有」とは、何か。グロスはフランスのラジオ局フランス・キュルチュールの番組で、その体制を一言に圧縮する。

「C’est à moi, rien qu’à moi, et j’en ferai ce que je veux.」(私のものだ、私だけのものだ、そして私はそれを好きにする)

ここには、他者への説明がない。所有者は、なぜ持っているのか、何に使うのか、誰に影響するのかを問われない。グロスが告発するのは、物を持つこと自体ではなく、持つことが「誰にも説明しない」ことと同義になる体制である。

だから彼が持ち込む対立軸は、私有対公有ではない。

「la vraie opposition ne se joue pas entre propriété privée et propriété collective ou publique, mais entre propriété absolue et propriété relative, appropriation séparatrice et appropriation relationnelle.」(本当の対立は私有財産と集団的・公共的財産の間にあるのではなく、絶対的所有と相対的所有、分離的専有と関係的専有の間にある)

私有でも公有でもなく、絶対的か、関係的か。この軸で見れば、資本主義と国家社会主義は同じ「絶対的所有」の偶像を共有していたことになる。グロスはそう書く。

そして、資本主義についての一文が、書評で繰り返し引かれている。

「Le capitalisme est privatif : il privatise, et en privatisant il prive.」(資本主義は剥奪的である。それは私有化するが、私有化することによって剥奪する)

私有化は、自然を、労働を、生を、そして公共サービスや知的生産物を、他者の手から奪う。この語呂は、ラテン語の privare(奪う)と privatus(私的)の同根性を利用した修辞だが、修辞以上のことを言っている。所有の暴力は、持たない者から奪うときだけでなく、持つ者を「説明しない者」に変えるときに働く。

3. 思想史①:ロックの所有は、最初から自己制限的だった

所有を自由の条件にした最初の大物は、ジョン・ロックである。『統治二論』第二論の第5章の核心は、こう述べる。

「Though the earth, and all inferior creatures, be common to all men, yet every man has a property in his own person: this no body has any right to but himself. The labour of his body, and the work of his hands, we may say, are properly his.」(大地と下等な被造物は万人に共通であっても、各人は自分自身の人格に所有権を持つ。これに権利を持つのは本人だけである。身体の労働と手の仕事は、まさに彼自身のものである)

労働を混ぜたものは、自分のものになる。これが「労働による専有」の定式であり、後に「自己所有(self-ownership)」と呼ばれる論理の出発点である。

だが、ロックは無制限の所有を認めていない。彼は二重の限界を置く。第一に、他人のために「同等で良質のもの」が共通に残されていること。第二に、腐敗させる前に使用できる分だけ、という限度である。

「As much as any one can make use of to any advantage of life before it spoils, so much he may by his labour fix a property in: whatever is beyond this, is more than his share, and belongs to others.」(腐敗する前に人生の役に立てられる分だけを、人は労働によって所有として固定できる。それを超えるものは彼の取り分以上であり、他者に属する)

さらに第46節・第50節では、腐らせずに長く保つ金属や宝石に交換する限りで、いくらでも溜め込んでよいとされる。金銀の導入によって、人々は「大地の不均等な所有」に合意した、とロックは書く。貨幣が、使用の限界を溶かす。 絶対的所有の萌芽は、ロックの外ではなく、ロックの中にある。

ここが本稿の伏線である。グロスの批判は、ロック的伝統の外からの批判ではない。労働による専有を認め、自己所有を認めながら、その論理が「説明しない所有」に転化する地点を撃っている。所有は自由の条件として始まったが、最初から自己制限的だった。その制限を外したのが、18世紀末以降の「絶対性の体制」である。これがグロスの歴史像だ。

4. 思想史②:1755年、ルソーは二つの答えを出していた

所有が暴力の起源だという告発は、ルソーのものとして知られている。

「Le premier qui, ayant enclos un terrain, s’avisa de dire : Ceci est à moi, et trouva des gens assez simples pour le croire, fut le vrai fondateur de la société civile.」(大地を囲って「これは私のものだ」と言い、それを信じる単純な人々を見つけた最初の人が、市民社会の真の創設者だった)

有名な『人間不平等起源論』(1755)の一節だ。ここだけ読めば、ルソーは所有を文明の堕落の始まりと見ている。

しかし、同じ1755年の『政治経済論』で、ルソーは正反対に近いことを書いている。

「Il est certain que le droit de propriété est le plus sacré de tous les droits des citoyens, & plus important à certains égards que la liberté même […] parce que la propriété est le vrai fondement de la société civile, & le vrai garant des engagemens des citoyens.」(所有権は市民のあらゆる権利のうち最も神聖なものであり、ある点では自由そのものよりも重要であることは確かである。……なぜなら所有は市民社会の真の基礎であり、市民の約束の真の保証だからである)

同じ年に、同じ著者が、所有を不平等の起源とも、自由の基礎とも書いている。 これは矛盾ではなく、所有の二重性そのものだ。所有は、誰かを排除するから暴力になり、誰かに場所を与えるから自由になる。どちらの顔が出るかは、所有の内容ではなく、所有が誰に対して開かれ、誰に説明されるかで決まる。

プルードンの「所有とは窃盗である」も、この二重性の一部である。1840年の『所有とは何か』で、彼は所有と占有を区別する。

「La possession est dans le droit ; la propriété est contre le droit. Supprimez la propriété en conservant la possession ; et, par cette seule modification dans le principe, vous changerez tout dans les lois […]」(占有は法の内にある。所有は法に反する。所有を廃して占有を保て。この原理の変更だけで、法のすべてが変わる)

プルードンが撃つのは、物を持つことではなく、賃料と利潤を生む排他的な権原である。「所有」と「占有」を分けるという操作は、現代の空き家問題にもそのまま使える。誰が占有しているのか、誰が所有しているのか、誰が管理責任を負うのか。この三つは、しばしば別の主体に分裂する。

マルクスは、その分裂を歴史の暴力として書いた。

「In der wirklichen Geschichte spielen bekanntlich Eroberung, Unterjochung, Raubmord, kurz Gewalt die große Rolle.」(現実の歴史では、周知のように、征服・隷属化・強盗殺人、要するに暴力が大きな役割を演じる)

『資本論』第1巻第24章「いわゆる本源的蓄積」の一節である。フランス語訳ではこれが「第一の役割(le premier rôle)」と訳され、しばしば強く引かれるが、ドイツ語の「große Rolle」は「大きな役割」である。訳語の強度が違うという事実は、引用の作法として覚えておいてよい。

そして、アーレントが決定的な区別を置く。

「wealth and property, far from being the same, are of an entirely different nature.」(富と所有は同じどころか、まったく異なる性質を持つ)

『人間の条件』第8節で、アーレントは所有の原義を「世界の特定の場所に自分の位置を持つこと」とし、私有財産を「公表の光に対して隠されるべきものの暗さを保証する、隠れるための私有の場所」と呼ぶ。近代は所有を富へと溶解させ、その結果、社会は「本質的には無所有」になった、と。

ここで問いが反転する。所有の暴力を批判した先に、所有の喪失がある。所有を失うことは、単に物を失うことではなく、世界の中に自分の場所を失うことなのだとしたら、関係的専有だけでその場所を保障できるのか。この問いは、第10節で戻ってくる。

5. 法制史:制限を、文のどこに置くか

思想が法になる瞬間、所有の二重性は、条文の語順に現れる。

1789年のフランス人権宣言第17条は、所有を「神聖不可侵の権利」と呼ぶ。公共の必要が明らかに要求する場合のほか、事前の正当な補償なしに奪われない。1804年の民法典544条は、こう定める。

「La propriété est le droit de jouir et disposer des choses de la manière la plus absolue, pourvu qu’on n’en fasse pas un usage prohibé par les lois ou par les règlements.」(所有権とは、法律または規則によって禁じられた使用を行わない限りにおいて、物を最も絶対的な仕方で享受し処分する権利である)

「最も絶対的な仕方で」が本文にあり、制限は但し書きに落ちる。所有が先にあり、制限が後から加わる。これがフランス型の語順である。

日本の民法206条は逆だ。

所有者は、法令の制限内において、自由にその所有物の使用、収益及び処分をする権利を有する。

「法令の制限内において」が冒頭に来る。憲法29条2項も「財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める」とする。日本法は、制限が加えられる前の自然権としての所有を観念せず、所有権の内容を最初から法律が構成する。

この違いは、所有への介入の仕方にも現れる。フランスでは、544条の「絶対」を前提に、判例が「権利濫用(abus de droit)」を作った。1855年のドエール事件(隣家の窓を塞ぐためだけに煙突を建てた)、1915年のクレマン=バヤール事件(隣地に実益のない鉄杭を林立させた)が古典である。「所有を制限するフランス」は、実は立法ではなく判例が100年かけて作った。 544条には「濫用」という語すらない。

日本では、所有の限界は民法1条3項の権利濫用禁止や個別法に置かれ、登記・税・引取りという運用が前面に出る。その運用が、2020年代に入って限界を見せている。

6. 日本の現実①:900万戸の空き家と、378件の勧告

2023年10月1日時点の住宅・土地統計調査(確定値)によれば、日本の空き家は900万2千戸、空き家率は13.8%で、いずれも過去最高である。1993年から30年で約2倍になった。

重要なのは総数より内訳だ。賃貸・売却用と二次的住宅を除く「市場に乗らない空き家」が385万6千戸(5.9%)ある。貸し出す気も売る気もない、あるいは貸せない・売れない物件が、400万戸近くある。

制度は動いている。2023年12月13日、改正空家特措法が施行され、「管理不全空家等」という区分が新設された。適切に管理されず、放置すれば特定空家等になるおそれのある空き家である。市町村長は指導でき、改善しなければ勧告できる。勧告を受けると、住宅用地の固定資産税特例(200㎡以下なら課税標準1/6)が解除され、固定資産税の負担は最大6倍になる。

だが、運用は細い。2025年3月31日時点で、管理不全空家等の指導は3,211件(185市区町村)、勧告は378件(40市区町村)。全国1,741市区町村のうち、勧告実績があるのは約2.3%にすぎない。

900万戸に対して378件。 この数字は、制度の不備というより、運用の空白を示している。空き家は、法が想定した「管理不全」の類型に収まる前に、相続・境界・建物の状態で止まっている。指導の前段階である認定そのものが集計されていないことにも、その性格が現れる。

ここで税制の逆説を指摘しておきたい。住宅用地の特例は、所有を保護するために置かれている。しかし、管理不全の勧告を受けるまでは、放置するほど税負担が軽い。所有の放棄を支えていたのは、所有を保護する税制そのものだった。

7. 日本の現実②:150万件の登記と、410万haの外側

2024年4月1日、相続登記の申請が義務化された。相続で不動産を取得した人は、相続開始と取得を知った日から3年以内に登記を申請しなければならない。正当な理由なく怠ると、10万円以下の過料。施行前の相続も対象だが、2027年3月31日までに登記すれば過料の対象にならない。

効果は数字に出た。相続登記の件数は令和2年度の約114万件から、令和5年度には150万件を超えた。義務化は、少なくとも「登記する」という行動を増やした。

だが、義務の届く範囲には限界がある。申請義務を負うのは「相続したと知った者」である。何十年も放置された土地では、相続人自身が自分が承継したことを知らない。義務の外側に、問題の核心が残る。

所有者不明土地は、2016年度の地籍調査に基づく拡大推計で、登記簿上で所有者の所在が確認できない土地が20.1%、面積換算で約410万ha。九州本島(約368万ha)より広い。2040年には約720万haに達すると予測されている。経済損失は2016年単年で約1,800億円、2040年単年で約3,100億円、2017〜2040年の累積で約6兆円という推計もある。いずれも民間有識者研究会の数字で、国の確定値ではない。

ここで注意が必要だ。410万haは2016年時点の推計であり、2021年以降の新しい全国推計は確認できない。「現在410万ha」と書くのは誤りである。古い推計が、現在の数字として引用され続けていること自体が、この問題の放置ぶりを表している。

国庫帰属制度の門も狭い。建物がある土地、担保権が設定された土地、境界が明らかでない土地は申請できない。崖や地下埋設物があり「通常の管理に過分の費用又は労力を要する土地」は不承認となる。申請6,125件という数字は、900万戸の空き家や410万haの不明土地に比べれば、ごく小さい。

所有の放棄は、最後の所有者が引き受けるのではなく、社会が引き受ける。 20万円という値段は、その引き受けの一部を、10年分だけ前払いさせる設計である。11年目以降のコストは、国が負う。

土地取得の規制も、所有の「主体」ではなく「使い方」に向かっている。2021年の重要土地等調査法は、防衛施設や国境離島の周辺を注視区域に指定し、一定の取引に事前届出を求める。この法律は国籍を要件としていない。日本人でも外国人でも同じ手続がかかる。「外国人による土地取得の禁止法」ではない。規制の対象は、誰が買うかではなく、買った土地を何に使うかである。

所有の二重性を示す図。東京都区部の住宅地価格上昇率、地方圏の上昇率、空き家総数と市場に乗らない空き家、相続財産に占める土地の割合を並べている。
図1: 所有の二重性――資産になる所有と、負債になる所有。図は筆者作成(資料: 国土交通省 令和8年地価公示、総務省 令和5年住宅・土地統計調査、国税庁 令和6年分相続税申告事績)

8. フランス:所有は「絶対」と書き、使用の側を規律する

フランスは、所有を「最も絶対的」と書きながら、その使い方に細かく介入する。2024年11月19日公布のロワ・ル・ムール法(loi n° 2024-1039)は、短期賃貸(meublé de tourisme)の全国登録制を導入した。登録番号の広告表示、未登録への罰則、税制優遇の縮小を柱とする。

しかし、実施は止まっている。登録を受け付ける国営テレサービスは2026年第4四半期の開設予定で、2026年10月時点で開始日は確定していない。「制限するフランス」も、現場では止まっている。

税はもっと進んでいる。2026年財政法第108条は、空き家税(TLV)と空き家の住居税(THLV)を、2027年1月1日から「住宅空き家税(TVLH)」に統合する。住宅需給が逼迫した地域(zone tendue)では、空き家1年で自動賦課、税率は初年度17%、2年目以降34%。自治体の議決で最大30%/60%まで引き上げられる。

二次住宅への課税も残る。フランスの二次住宅は2024年1月1日時点で370万戸、全住宅の9.8%。主要住宅の住居税は2023年に廃止されたが、二次住宅は残り、住宅需給が逼迫した地域では自治体が5〜60%の上乗せを議決できる。2025年時点で1,629のコミューン(市町村)が上乗せを設定し、総額は約3億9,090万ユーロ(約687億円)に達する。

ここで注目したいのは、規制が使用(usus)に集中し、処分(abusus)にはほとんど触れていないことだ。短期賃貸の登録、省エネ基準、空き家税、二次住宅への上乗せ。すべて「どう使うか」への介入である。所有権の核である「売る・貸す・放棄する」には、補償付きの制限か、税による誘導しかない。

日本の空家法と方向は同じで、手段が違う。日本は勧告と税特例の解除、フランスは登録と税。どちらも、所有の絶対性を正面から否定せず、使用の側から締め上げる。

日本とフランスの所有権法制を比較した図。日本は民法206条で制限を冒頭に置き、登記・税・国庫帰属で運用する。フランスは民法典544条で絶対性を本文に置き、判例・登録・空き家税で使用を規律する。
図2: 所有権の制限をどこに置くか――日本とフランスの比較。図は筆者作成(資料: e-Gov 民法、Légifrance Code civil 544条、両国の住宅・空き家法制)

9. 意見圏:所有は「持つ/持たない」では語られない

Redditなどの意見圏(2020〜2026年のスレッド、本文照合前の要約に基づく)を見ると、所有をめぐる議論は、こちらの想定より実務的である。

第一に、所有と占有の区別は、すでに共有されている。r/philosophy のプルードン再読スレッドでは、標語そのものより「所有と占有を分ける分析枠組み」に関心が集まる。「標語は記憶に残りすぎ、議論は忘れられた」という趣旨の反応が上位に来る。標語を額面通りに扱うと、読者の水準から外れる。

第二に、空き家・相続では、罰則への反発が強い。2021年の r/japan のスレッド(約881ポイント)では、所有者不明土地の増加そのものより「解決策が罰則と規制の強化だというのか」という反応が最大コメントになった。相続税が放置の原因だという主張は検証された因果ではないが、所有が負債になった感覚をよく表している。

第三に、フランス・欧州では「禁止か課税か」が早期の共通枠組みになる。2022年の r/france のスレッドでは「不動産を2軒までに制限すれば市場に空きが出る」に対し、「人権宣言そのものが所有権を神聖化している」という反論が付き、「禁止は無理だが重い課税は可能だ」という出口に落ち着く。Airbnb規制は支持が圧倒的だが、論点は「原義に戻せ(家主在宅のB&B)」という定義論と、「決議しても止められない」という執行論に割れる。

意見圏の関心は、所有の是非ではなく、どの部分を制限するか(使用か処分か)、誰を対象にするか(外国人か投機か)、執行できるかに移っている。この三点は、本稿の制度分析とそのまま重なる。

10. 思想の戻り:関係的専有は「隠れ場所」を保障できるか

ここまでで、二つのことが見えた。所有は排除の暴力になる。同時に、所有を失うことは、世界の中の場所を失うことでもある。

アーレントの反論を、もう一度取り上げる。グロスにとって害は「絶対性」で、処方は「関係性」である。だがアーレントにとって問題は、所有が富に溶解し、人々が「本質的には無所有」になることだった。私有財産は、公衆の光から隠れるための場所であり、世界内に自分の位置を持つことの保証である。関係的専有は、その隠れ場所を保障できるのか。

グロス自身の結論は、この問いに完全には答えていない。書評が引く本文で、彼は最後に「唯一重要な所有は、自分自身の所有(la propriété de soi)である」と書く。自己所有は、ロックの§27の遺産であり、絶対的所有的思考の出発点でもある。批判は外在的ではなく、内在的だ。専有を救済することで、所有の論理を温存しているという批判が成り立つ。

コモンズも、単純な答えにはならない。オストロムは長期持続する共同資源制度の8設計原則を抽出したが、同時に「このリストはなおかなり思弁的であり、これらが制度的頑健性の必要条件だと主張する用意は私にはまだない」と留保する。コモンズは理想郷ではなく、境界・監視・段階的制裁・紛争解決という手続の束である。

日本の入会権は、その手続の歴史的な実例だ。民法263条・294条は入会権を「各地方の慣習」に委ねる。入会林野近代化法(1966)は、全員の合意と都道府県知事の認可によって入会権を消滅させ、所有権や地上権へ転換する手続を定めた。これは暴力による収奪ではない。合意による囲い込みである。

ここに、グロスの二分法では捉えきれない第三の類型がある。絶対的でも関係的でもない、手続的で、可逆性の低い専有。日本の空き家問題も、この類型で見たほうがよく見える。所有者が「絶対的」に放置しているのではない。相続人たちの共有状態、境界の不明、建物の状態、税制の誘導が重なって、誰も動けない。関係の網目が、所有をほどけなくしている。

11. 結論:所有は「説明責任の所在」を決める制度である

最初の問いに戻る。所有は自由の条件か、暴力の起源か。

答えは、どちらでもある。だが、その二択は粗すぎる。所有権の本体は、物を持つ権利ではなく、誰が、何に対して、誰に説明責任を負うかを決める制度である。

絶対的所有の暴力は、説明しないことにある。グロスが「私のものだ、私だけのものだ、好きにする」と呼んだ体制は、他者への説明を不要にする。アーレントが守ろうとした「隠れ場所」も、実は説明責任から逃れる場所ではなく、説明を始めるための場所である、と読み替えたい。自分の場所があるから、人は公的な問いに答えられる。

2026年の日本で起きているのは、その説明責任の空洞化だ。900万戸の空き家、410万haの不明土地、20万円で国に返される土地。これらは、所有者が悪いという話ではない。所有者が誰なのか、誰が管理し、誰が最後に引き受けるのかが、分からなくなっているという話である。所有の暴力は、排除の形だけでなく、放置の形でも現れる。

だから、所有を「持つ自由」としてだけ守るのも、「暴力」としてだけ否定するのも、同じだけ不十分だ。必要なのは、所有を説明責任の制度として設計し直すことである。誰が持っているのかを記録し、誰が管理するのかを決め、誰が手放すのかを引き受ける。登記、税、国庫帰属、そして関係的専有の試みは、すべてその設計の一部である。

最後に、読者に問いを引き渡す。

あなたが持っているものは、誰に説明する必要があるか。あなたが手放すとき、誰が引き受けるのか。

所有が自由の条件になるのは、それが説明責任を伴うときだけである。

12. 読書案

  • Frédéric Gros, Violence de la propriété, Albin Michel, 2026。本稿の起点。絶対的所有と関係的専有の対立を、法・経済・倫理を横断して論じる。
  • John Locke, Two Treatises of Government(1689)第二論 第5章。所有権論の出発点。剰余条件と使用限度を併せて読む。
  • Jean-Jacques Rousseau, Discours sur l’origine de l’inégalité(1755)/Discours sur l’économie politique(1755)。同じ年の二つの声を比較する。
  • Pierre-Joseph Proudhon, Qu’est-ce que la propriété ?(1840)。「所有とは窃盗である」の正確な文脈を確認する。
  • Hannah Arendt, The Human Condition(1958)第8節。富と所有の区別、隠れ場所としての私有財産。
  • Elinor Ostrom, Governing the Commons(1990)第3章。コモンズの8設計原則と、著者自身の留保。

13. 参考資料

思想・一次資料

法制度・統計(日本)

法制度・統計(フランス)

※外貨の円換算は、2026年10月24日付の時事通信7時現在の為替(1ユーロ=175円72〜73銭、1ドル=156円90銭前後)に基づく概算である。19ユーロは約3,340円、3億9,090万ユーロは約687億円。

14. 画像の利用について

アイキャッチおよび図1・図2は筆者作成のイメージ図・チャートであり、その元データの出典は各figcaptionのとおり。

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